「部活問題」について思うこと

部活動問題 対策プロジェクト
というサイトを見ました。
この後の記事は、上記のサイトをよく見てからご覧ください。
ただし、署名する前に私の記事も読んでみてください。
3時間かけて書きましたorz
肩が痛いですw
部活の顧問をする・しないの選択権を下さい!

という主張が目に入ってきたときに、思ったことを率直に書きます。

例が極端だという人もいるかも知れませんが、今の日本には徴兵制はありません。
自分で仕事として「自衛隊」という職業を選択した人が国を守る大切な仕事をしています。
ですが、国民全員が「自衛隊には入らない」という選択をした場合、どうなるでしょうか?
当然困るわけです。
何らかの方法で国防を成り立たせるための手段を講じざるを得ません。

おそらくそれは徴兵制になるでしょう。

そういう意味で、自分以外の仕事をしている人には感謝しなければいけないと私は思います。
全員が、「力仕事は無理」と言えば建物は建ちません。
全員が、「夜は仕事したくない」と言えば飲食店やコンビニは無くなります。

ポイントは「全員」です。
どういうことかというと、
何かの「権利」があるとすれば、
それは「全員が行使してもよい」ものだけであるべきです。
ある人は行使してよいがある人はダメ。
とするのであれば
その線引きは何によってなされるのでしょう。

全員が行使してよい権利以外は権利としては認められないものだと私は思います。

では教員全員が「顧問をしない」という選択をした場合はどうでしょうか?
「現実的ではない」という批判もあるでしょうが、
教員に、部活動を持たないことが「権利」として認められた場合、
全員がその権利を行使した場合の事を考えるべきです。
自衛隊の例で分かるように、実際はそれだと「困る」という事は明らかです。

「自分はやらない。でもきっと誰かがやってくれる」
そんな理論が成り立つはずがありません。

全員が顧問をやらない権利を行使した場合、考えられるパターンとしては
①管理職の任命した外部のボランティア指導者の指導で部活動が存続
(小学校のスポ小的な感じですね)
②地域のスポーツ団体、文化団体に丸投げ
のどちらかしか無いでしょう。

様々な反論はあると思いますが、そうなるとどうなるか現実的なところを考えてみます。

①外部のボランティア指導者
うまくいく例もあると思いますが、それは現在の「顧問」という存在がいての話だと思います。

学校の教育活動の一環なのに顧問はいないという矛盾の中で、
管理職がすべての部活動が終わるまで居残ることになることが考えられます。
ただでさえ忙しい、管理職がさらに忙しくなります。
一般の先生たちは5時で退勤。アフター5を満喫します。
最初のうちはいままで通り学校の施設は使えるのでしょうが、
老朽化していった場合修繕する可能性は低いでしょう。
指導の過程で体罰やえこひいきなど別の問題が浮上。
女子の場合、男性指導者との関係に危険な事案が多発。
親のクレーム処理に学校が対応できるのでしょうか?
問題のある外部指導者を切って新しい指導者を探す?誰が?
指導者不在の部活は荒れます。
一部の優秀な指導者のいる学校のみが勝てる状況が発生し、競争が軟化。
国全体で競技力の低下。

②地域のスポーツ団体、文化団体
(「の活用」などという文言になるでしょう)
お金が無ければスポーツや音楽はできないので、格差が拡大
スポーツや文化活動に参加しない生徒が多く生まれます。
目標の無くなった生徒は家でゲームをするか非行にはしる。
習い事をしたり、親がキャンプに連れて行ったり何かしらの手当てをできる家庭と
そうでない家庭の差が急増。
子どもの成長(コミュニケーション能力など)は授業だけではなく、
さまざまな活動を通してはぐぐまれるものだと思います。
その機会が、家庭の経済力によって得られたり得られなかったりすることは
望ましくありません。

学校社会、地域社会、日本全体が大変な事になります。

さて、それでも、
「自分は顧問やらないけど、熱血な先生がやってくれる」という理論で突っ切るのであれば
「顧問をやる先生にお金をあげましょう」という話も出てくるかも知れません。

そうなると、一律なのか、成績によって強弱が付くのか、新しい議論が生まれます。
財源は顧問をやらない先生の給料から引きましょう。

まずは
一律にお金がもらえるパターン。
顧問には活動を監督した時間に対して一律に800円支払われると仮定し
平日一日2時間、土曜日4時間、部活動指導をしたものとすると、
一か月44800円です。

それが半々になるとも限りませんので、
3人のうち、
やる先生2人分
やらない先生1人
 の場合、
一人で二人分のお金を出すと、一か月9万円の減です。

おそらく、多くの先生が「それは嫌」という事になるでしょう。
となると、「顧問」の肩書は欲しいけど部活はあんまりやりたくない。
ということになります。
部活の顧問はしてるから給料は減らさないで。
となり、状況は変わりません。

次に考えられるのが、成績などでお金に差がつくパターン。
先生方の給与の中でのゼロサムゲームは成り立たないことは既に書きましたので、ここでは、
国がどぱーっとお金を部活動指導者に対して払ってくれると仮定します。
財源はどうしましょう。増税しかないですね。

導入しようとすると、大きな壁にぶち当たります。それは査定が難しいことです。

(A)全国優勝の指導者へのギャラと(B)地区大会一回戦負けの指導者のギャラ
どうやって区別をつけるか、という議論は、
(A)毎日頑張って練習している部活(B)幽霊部員の多い部活のギャラに
差をつける事とイコールです。

(A)と(B)の違いを見極め、正しくギャラを払うためにどれだけのコストがかかるか考えただけでめまいがします。
放課後の時間毎日チェックをしに教育員会の人が各校に行くのですか?
査定に対しての不正は完全に防げますか?
(B)の指導者が、「私は毎日一生懸命指導している」とアピールした場合に
「あなたは一生懸命ではない」と裁判所で証明することが可能ですか?
たまたま見に行った日は休みだっただけで普段は一生懸命指導しています、という主張を覆せますか?
また、勝てないチームの指導者に「あなたは勝てないからこのギャラ」と言えますか?
そんなことをしたら多くの人は指導から離れていくでしょう。

また、高いギャラを得るために
(高いギャラとは、それで生活できる水準の事を言います。指導者も生きていかなければいけないので生活できるだけの保障が無ければ仕事としては成立しません。あくまでボランティア的にというのであれば多くは期待できませんし、すること自体がおかしいですよね。)
勝利至上主義が横行し、生徒集め、選手集めが激化。
(一部で)今より部活は激しくなるでしょう。

一方いわゆる普通の学校では細々と趣味程度に部活が存続し、大会に出てもまったく歯が立たないことになります。

この状況、今の状況と大きく違いますか?

先生たちは顧問の任を解かれ、アフター5を満喫できますが
国民全体の税負担が増えます。
そんなことを望む人はいないでしょう。

さて、ここまで怒涛の勢いで書いてきましたが、

部活の顧問をする・しないの選択権をすべての教員に与えることが不可能だし、
国民もそれは望んでいません。


おそらく今後、
ではどうすればよいのでしょうか。
という議論が始まります。

おそらくそれが、署名活動をしている人たちの真の狙いでしょう。

短絡的に

部活動問題は大変な問題だ!

と騒ぎ立てても仕方がありません。
これをきっかけに、部活動がより良いものになることを祈り、
これからも一生懸命指導して参ります。

最後になりますが、
署名するしないは個人の自由です。
問題を大きくして、議論の場に上げることは大事なことです。
落ち着いて問題点を整理し、
すべての人にとって良いバランスを探っていきましょう。
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